1,400年の歴史を持つ
平家所縁の安芸一宮
世界文化遺産に登録され、1400年の歴史を持つ厳島神社は全国500社の厳島神社の総本社で、安芸国一宮。
島全体を神としているため、それを祀る社殿は海にせり出し、それぞれの建物を回廊で結ぶ建築。
全体の部材を朱塗りとして、潮が満ちてくると海に浮かんでいるような社殿の風景は、背後に聳える弥山の濃い緑に映え、安芸の宮島と呼ばれ、日本三景の一つとして数えられている。
593年の創建、1168年に平清盛の援助で現在のような海上社殿になった。
本殿のある内宮には37棟の社殿、対岸には棟の外宮が設けられている。
海上に浮かぶ
高さ16mの大鳥居
有名な海上の大鳥居は、社殿から88間先に建てられた高さ16mの両部鳥居。
樹齢500〜600年クスノキで作られているといい、柱の根元は、松の木の杭の上に布石を並べて海底の地盤を強化した上に置かれている。
全体を結ぶ回廊は幅が4mほどで、目透かしという隙間が空いている。
これは海水が押し上がってくる圧力を弱めて、水が回廊に溜まるのを防ぐ役割がある。
過去の嵐や台風に何度もさらされてきた神社だが、本殿まで水が達したことは無いという。
本殿前に広がる平舞台は、約553平方メートル。
寝殿造の庭にあたる部分で、全体が板床。
他の社殿の束柱が木造なのに対し、この部分は赤間石が建てられ、全部で239本もあるという。
1176年に平家一門による千僧供養が行われ、その際に設けられた仮廊が常設されるいうになったという。
最前面は火焼前といい、7月の管絃祭で使用される。
平舞台の、火焼前と払殿の間にある高舞台は、舞楽の舞台としては最小のものだという。
1546年に棚守房顕によって作られ、当初は組み立て式だったものが江戸時代に入り、現在のような作り付けになったと考えられている。
社殿の南西面にある反橋。
勅使橋とも呼ばれ、以前は重要な祭事の際に勅使がこの橋から社内に入ったという。
1557年に毛利元就と隆元によって建てられた。
厳島神社の周辺に建てられている摂社で、特に目を引くのは「千畳閣」と呼ばれる豊国神社。
豊臣秀吉と加藤清正が祀られ、1587年に戦いで亡くなった兵士の慰霊のための大経堂として建てられた。
千畳閣と呼ばれるとおり、畳857枚の広さがあり、工事途中で秀吉が死亡したため、現在でも板壁や天井板のない未完成な状態となっている。
入母屋造の大屋根の建物で、寺院のような建築だが、明治時代の神仏分離で、本尊の釈迦如来像が大願寺に遷されたため、厳島神社の末社として豊国神社とされた。
千畳閣の横に建っている五重塔は、1407年建立のもの。
高さは約30メートルで、軒先の反りがとても大きい。
禅宗様に、和様を加えた建築として特徴がみられる。