一之宮貫前神社

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一之宮貫前神社

一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)

いちのみやぬきさきじんじゃ

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群馬県富岡市に建つ一宮。
参道の正面から石段を上り、鳥居、惣門を潜ったところで石段を下るという珍しい「下りの宮」として知られている。

現在の「一之宮貫前神社」という名称は、もともと抜鉾神社(ぬきほこじんじゃ)と貫前神社(ぬきさきじんじゃ)2つの名称が古書に登場していたという。
2つの名称が存在する理由については「同じ神社を指す」という説と「別の神社を指す」という2説あるといわれている。

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

一之宮貫前神社 上州一宮の東から西へ小高い山が続き、その山を越えるような形で貫前神社の石段が設けられている。
参道の正面は急な坂道と石段になり、その頂上に大鳥居が建ち、その先に惣門が設けられている。
惣門の両脇に建っている燈籠は市指定文化財に指定された1865年のもの。
作られた翌年にこの場所に建てられ、3m以上の高さを持つ銅製のものとなっている。

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

惣門の左側の社地は木々が開かれ、末社が祀られている。
左手に設けられている長く続く社殿は、二十二末社。
貫前神社の社領内に鎮座していた末社を、寛永12年の本殿造営の際に1棟の建物に祀ったことから二十二末社と呼ばれている。

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

二十二末社の右手、中央に祀られる社殿は日枝神社で、寛永12年以前の旧本殿を移築したものと伝えられている。
明治十二年に近くに建つ3つの神社を合祀し、他にも18柱を祀っている。
日枝神社の横には伊勢内宮と外宮と呼ばれる社殿が建てられている。
もともと社地内にあったものを寛永12年にこの場所へ移動した。
内宮には天照大神、外宮には豊受大神を祀っている。

一之宮貫前神社 石段を降りた中ほど、左手に月読神社という末社が設けられている。
寛永12年以前の拝殿を牛王堂として使用されていた建物を、明治維新以降、月夜見命を祀り、月読神社として改めた。
末社日枝神社と同じように、近在の神社を合祀し、月夜見命の他にも17柱を祀っている。

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

「下り宮」と呼ばれるとおり、惣門から石段を降りたところに社殿は建っている。
石段の下に見える楼門は国指定の重要文化財にも指定されている1635年建築のもの。
全体を朱色に塗られており、蟇股以外には特に彫刻も見られない。
両脇には回廊が設けられ、石段からは全体を見下ろすとことができる。

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

一之宮貫前神社 一之宮貫前神社

楼門の背後に設けられた拝殿は江戸時代の極彩色の装飾がされたもの。
入母屋造で妻面や、軒下の欄間などに特に鮮やかな色合いが見られる。
総漆塗りの精巧な建物となっている。

現在工事中の本殿は貫前造という、貫前神社だけの独特な建築様式となっている。
外見は千木と鰹木を設けた春日造にのようになっているが、内部では二階建てとなっている単層二階建て。
屋根縫に「雷神小窓」と呼ばれる小窓が設けられていることなど、非常に珍しい建築物となっている。
拝殿と本殿ともに国指定の重要文化財となっている。

一之宮貫前神社 本殿の横に設けられている摂社は抜鉾若御子神社と呼ばれており、明治38年にこの場所に移された。
棟札から文化12年の建築とされている。

一之宮貫前神社

所在地群馬県富岡市一ノ宮1535
ホームページhttp://nukisaki.kazelog.jp/blog/
祭神経津主命、姫大神
本殿国指定重要文化財
寛永12年(1635)
建築様式貫前造 杮葺
拝殿国指定重要文化財
寛永12年(1635)
建築様式桁行3間梁間3間 入母屋造 杮葺
楼門国指定重要文化財
寛永12年(1635)
建築様式東西回廊付
摂社抜鉾若御子神社文化12年(1815)
建築様式一間社 流造 銅板葺
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この記事をご覧いただいた方のコメント

お名前:匿名さん

親王任国の一宮にして、謎多き神社。

「抜鉾神社」と「貫前神社」?
祭神はなぜかの「経津主神」と、謎の「比賣大神」
「本来は「貫前」と「抜鉾」の2神2社であったものが
2神1社となり、明治になって公式には1神1社になった」?
この神社で行われる「鹿占神事」は物部氏に由来するとされる
が、であればなぜ経津主?邇藝速日命では?

上野の国二宮である赤城神社や、ほかの社殿ではあくまでも
「ヌキサキ神社」の祭神は、機織をする「女神」とされる。
稲含神社、榛名神社、荒船神社に祀られる女神と同一とも姉妹ともされ、宇迦之御魂神や豊受姫と同一ともされる
下り宮で、下る途中に月読宮があるとなれば、保食神か?と思いきや、郷土史では「南天竺狗留吠国の長者・玉芳大臣の五女」が祀神であると断定されている。

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