金原周防守の建築
大町市を中心として、中信地方に建築を残している金原氏は、代々周防と名乗っていたという。
古格に乗っ取った神明造の技法を受け継いでいった家柄という。
若一王子神社の本殿を建築したのは4代目の定兼。
この時代に建てられたものとしては仁科神明宮が知られている。
仁科神明宮の本殿は国宝に指定されており、桁行三間梁間二間の神明造で、屋根を支えるための棟持柱を持っている本格的なものとなっている。
丸型の棟持柱は束石から縁板を抜け、棟木を直接受けている。
屋根は檜皮葺で、破風が交差するようにして屋根より上に伸びて千木になり、風切穴が彫られている。
仁科神明宮は大町市の市街地より数キロ南の集落の中に建っている。
その社叢は天然記念物にも指定されており、非常に太く大きな杉が何本も聳えている。
仁科神明宮は、伊勢神宮と関係のある仁科御厨の鎮護のために勧請された社で、信濃に建立されている4社の神明宮のうちの一つとなっている。
祭神 | 天照皇大神 |
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本殿 | 国宝 江戸時代中期 |
大工 | 金原周防守 |
建築様式 | 桁行三間 梁間二間 神明造 檜皮葺 |
中門 | 国宝 江戸時代中期 |
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大工 | 金原周防守 |
建築様式 | 四脚門 切妻造 檜皮葺 |
本殿は室町時代末期に仁科盛信によって建てられたといわれているが、江戸時代の初期に大修理を行っており、その当時の建築様式が多く取り入れられているという。
1654年に行われたこの修理では、大町市の金原氏によってほとんどが解体修理されたそうだ。
祭神 | 伊弉冉尊・仁品王・妹耶姫・若一王子 |
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本殿 | 重要文化財(旧国宝) 承応3年(1654)棟札 |
大工 | 金原周防守定兼・五左衛門 |
建築様式 | 一間社 隅木入春日造 檜皮葺 一棟 |
観音堂 | 市指定文化財 宝永3年(1706)社記 |
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大工 | 金原又七・作助 |
建築様式 | 方三間 寄棟造 草葺 一間向拝柿葺 |
観音堂厨子 | 宝永三年(1706)社記 |
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大工 | 金原又七・作助 |
建築様式 | 方一間 入母屋造 柿葺 |
三重塔 | 県宝 宝永八年(171)社記 |
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大工 | 金原又七・作助 |
建築様式 | 方三間 三重塔婆 柿葺 一基 |