新海三社神社
しんがいさんしゃじんじゃ

旧臼田町に建つ新海三社神社は、入り口に非常に大きな鳥居を持ち、山の傾斜を上るように立派な社叢が育っている。
参道の石段を上ると、まずは拝殿が正面に見え、その脇に神楽殿。
非常に静かな佇まいは、とても落ち着いた雰囲気を感じさせてくれるため、じっくりと落ち着いて社殿を見ることができる。
本殿、神楽殿ともに素木造の簡素な装飾となっており、大きな社叢の中に静かに鎮座しているように見える。

新海三社神社の本殿は、三つの社殿が並んで建っている。
素木で作られた拝殿の質素な雰囲気とは一変して朱と彫刻が見事な流造である。
中本社
母屋は円柱に縁長押、半長押・内法長押を打ち、頭貫(拳鼻付)を通す。
組物は連三斗とし、肘木には水繰をつける。
中備は蟇股とし、薄肉彫の彫刻(鶴竹に雀など)をいれる。
妻飾は二重虹梁とし、二重目は、丈の短い大瓶束(双斗付)で受け、中備に板蟇股をいれ、棟木も大瓶束で受ける。
縁は側面にのみ付き、脇障子をつける。
母屋正面には幣軸を立て、板扉をいれる。
股正面は縁を省き、木階がつく。
向拝は大面取の角柱で、中央が湾曲した虹梁形の貫を入れ、両端に木鼻をつける。
組物は出組とし、肘木には水繰をつける。
中備は大斗肘木とする。
母屋とは海老虹梁でつなぎ、海老虹梁尻は大斗におさまる。
軒は二軒の繁垂木で、飛檐垂木には反りをつけている。
西本社
母屋は中本社と同様の軸部形式とし、中備は正面が蓑束、妻側は蟇股(薄肉彫刻入)とする。
妻飾も中本社と同様に二重虹梁とするが、大瓶束のかわりに軍配形彫刻(双斗付)で受ける。
縁は側面にのみ付き、脇障子を付ける。
母屋正面には二間とも幣軸をたて、板扉をいれる。
また正面は中本社と同様に縁を省き、二間とも中央が湾曲した虹梁形の貫を入れ、両端には獅子の彫刻木鼻を付ける。
組物・中備は中本社と同じである。母屋とは海老虹梁でつなぐが、中央の柱上は海老虹梁とせず手挾をいれる。
建築年代は、元禄十二年の請負証分と元禄十三年の棟札があり、ともにこの二年間の工事であったことがわかる。
東本社

この社殿は普通の一間社流造であるが、浜床がとても高い。
木鼻は母屋のものより、向拝の方が複雑で、やや象鼻化しており、後補の疑いがある。
母屋の木鼻は上に笹葉を陽刻しており、若葉文様に進む一段前の段階を示している。
海老虹梁もあり、禅宗様が入っているが、実肘木は桁と一木で桁隠まで通り、繰形付の実肘木にはならない。
向拝柱は六・七分の一と大きく、母屋柱は床下まで断面は円で古風である。
木鼻の絵様繰形も、向拝のものを後補とみれば、渦だけのものから若葉付の文様に進む前の状態で、比較的古い形を示しており、海老虹梁や蓑束などから見ても建立年代は室町中期といえる。
三重塔
この塔はもと新海三社の神宮寺のものである。
明治維新の廃仏毀釈にあたり寺は約三〇〇m西南方に移ったが、塔はそのまま神社に属している。
礎石は自然石、柱は円柱(床下八角)で、足固貫・腰貫・頭貫を通し、縁長押・頭長押を打ち、台輪をおき、三手先組物をのせる。
組物は和様だが、肘木の曲線は円弧で、実肘木には絵様繰形をつけ、拳鼻がある。
中備は間斗束であるが、斗だけで束はない。
このような方式は、他にも見られ、この地方で流行したらしい。
二、三重は平三斗の腰組を設け、切目縁とし、刎高欄をおく。
各重とも中央間は扉、脇間は板壁である。相輪は普通の形式であるが、水煙の輪郭が長方形なのは変っている。
注目すべき点は各重とも和様三手先組物としながら、頭貫に木鼻をつけ、各重で絵様繰形をかえ、各重とも台輪をおくが、三重だけ台輪の木鼻を造り、垂木は二重であるが、初重だけ脇間中央から外を扇垂木にし、各重地隅木先は禅宗様と同じく絵様繰形をつけ、初重扉は桟唐戸とするが、二重・三重は板扉とするなど、それぞれ自由にデザインしていることである。
同じ三重塔で、禅宗様を採り入れたものの一つに三明寺三重塔(愛知県豊川市)がある。
一、二重を和様とし、三重全てを禅宗様としている。
塔は禅宗様を採り入れたものが少ない。
もう一つの注目すべき点は構造である。初重内部は内部の内法長押上に小壁をつくり、四天柱はなく、格天井(後補)とする。
奈良時代以来、中央間左右の柱上の組物の肘木は長い通肘木として相対する組物とつなぎ、これらが井桁に組まれているから、構造的には側柱上に四角な箱をおいたような形となり、これが強固に組まれれば四天柱の構造的意味は少なくなり、前二本を略し、あるいは大法寺三重塔でみられるように、来迎柱を後退させることもできる。
もちろん平安時代末以来、心柱もこの枠上におかれた梁上に立つから、二重目でとまり、初重は広く使えるようになる。
二重目の側柱は、大法寺三重塔では地垂木上におかれた盤上に立てられ、垂木をおいてから二重目が作られるようになっている。
ところが、この塔と前山寺三重塔とでは前後左右に井桁に通肘木を組んだすぐ上に盤を置き、二重の柱はこの上に立ち、初重の柱の内方部分はこの盤の下まで延び、僅かであるが、この柱盤の荷を支えるようになっている。
要は垂木尻を柱盤でおさえ、天秤状にして荷重を支える方法が、初重の構造部を組み終えると、すぐその上に二重の柱が立てられ、尾垂木の尻は二重目柱間に渡された横架材に取り付いたり、二重目柱に柄差鼻栓になって、各重の軒が塔の構造体でなくなったことである。



佐久市田口2329
新海三社神社
- 祭神
- 健御名方命・興波岐命・事代主命
- 中本社
- 一七世紀末期または十八世紀初期
- 大工
- 肝入八郎兵衛・清左衛門
- 建築様式
- 一間社 流造 鉄板葺 一棟
- 西本社
- 一七世紀末期または十八世紀初期
- 大工
- 肝入八郎兵衛・清左衛門
- 建築様式
- 二間社 流造 鉄板葺 一棟
- 東本社
- 重要文化財
室町時代中期 - 建築様式
- 一間社 流造 檜皮葺 一棟
- 三重塔
- 重要文化財
永正12年(1515)風鐸銘 - 建築様式
- 三間三重塔婆 柿葺 一基
- 参考
長野県史 美術建築資料編全一巻
(二)建築
平成2年3月31日発行
編集者:長野県
発行者:社団法人長野県史刊行会
印刷者兼印刷所:新毎書籍印刷株式会社:
発行所:社団法人長野県史刊行会



